居酒屋で経営知識

64.ダイレクトマーケティング

【主な登場人物】
ジン(北野):主人公 サラリーマンの傍ら経営コンサルタントをしている
黒沢:居酒屋みやびの大将 酒と和食へのこだわりが強み
由美:居酒屋みやびの元看板娘 黒沢の姪
雄二(鳶野):ジンの幼なじみ ジンの応援で起業した
大森:みやびの常連 地元商店街の役員
近藤:みやびの常連 建設会社顧問
亜海:居酒屋みやびの新しいアルバイト
原島:ジンの高校の大先輩。新社長としてジンにアドバイスを求めている。

「へい、いらっしゃい。毎度」

「うー、寒い」

 挨拶よりストーブで暖を取ることに気を取られてしまう。

「はーい。ジンさん、あったかいおしぼりデース」

「亜海ちゃん、ありがとう。あー、生き返る。ちょっとあったまったら、今日はエビスの生にするよ」

「最近、寒いって熱燗ばっかりだったのにどうしたんですか?」

「今月はヱビスビールの誕生日があるんだよ」

「ええー?ヱビスビールに誕生日があるんですか?」

「そうらしい。今の恵比寿で日本麦酒醸造所が1890年の2月25日に発売開始したということなんだ。今年で122歳だそうだ」

「すごーい。122年も」

「だからお祝いというわけさ」

 ちょっと蘊蓄を話して、暖まってきた身体に冷たい生ビールを注ぎ込む。

「うまいものは残るんだなあ。最近苦戦しているサッポロビールだけど、エビスビールだけは変えずに残してもらわなければね」

「お通しには筑前煮を用意しましたよ」

「おおー。うまそうですね。いただきます」

 鶏肉とゴボウっていうのはどうしてこう合うんだろうとシミジミ味わっていると大きな影が近づいてきた。

「おお、この寒いのにビールかよ」

「雄二か。みやびに入ればポカポカだからな」

「まあ、それは言えるか。じゃあ、俺も一杯いくか。亜海、俺も生たのむ」

「はーい」

 ちょっとご無沙汰だったからか、雄二から誘いがあったのだ。

「じゃあ、乾杯。久しぶりだったかな」

「多忙な経営者だからな、俺は」

「まあ、それは良かった。で、何か相談があるんだろ」

「ああ、残念ながら図星だ。うちの会社のお得意さんから相談があってな。去年のマーケティングセミナーに来てくれていた煎餅メーカーの社長なんだ」

「あ、大量に煎餅を送ってくれた人か?」

「そうそう。やっぱりモノをもらうと覚えているもんだな。それをもっとやればいいのかもな」

「そうだな。でも、タダでみんなに配るなら、配った人を見込み客にするダイレクトマーケティングを考えた方がいいな」

「ん?ダイレクトマーケティングだって。あれか、ダイレクトメールをバンバン送るってやつ」

「まあ、手法の一つには入るのかもしれないけど、俺の言っているダイレクトマーケティングというのは、個々の顧客とのつながりを強めていくようなものだ」

「というと、煎餅屋に繋がるか。社長曰く、大手のメーカーのOEMや最近はスーパーなんかのプライベートブランドを作っていて、お客さんの顔が見えなくて困っているらしいんだ。今は、大手が買ってくれるけど、要求が厳しいし、やっぱり、自分たちの煎餅を喜んで食べてくれる人のニーズに合わせた開発がしたいらしい」

「自社のブランドもあったみたいだったけどな」

「大手の要求に合わせて作業ラインを変更したり、職人に無理を言ったりしているので、昔からの付き合いの商店やお土産屋だけになってしまったらしい。それが、最近、大手スーパーからの値下げ要求が厳しく、他の安いメーカーに仕事を取られつつあってますます危機感を持っているんだ」

「うーん。まずは、今のブランドを扱ってくれる商店やお土産屋さんをしっかり捕まえることだろうな。味も高級感のある商品だから、通販を取り入れて、そこにダイレクトマーケティングの手法を絡めたらどうだろう」

「そのダイレクトマーケティングってのは、どう絡めるんだ」

「いろいろな理屈はあるが、要は、少しでも興味を持ってくれた人を見込み客として、その人とのつながりを維持しながら、自社や自社の商品のファンにしていくと考えるといいだろうな」

「見込み客をファンにするか。例えば、通販をやるとしたらどうすればいいんだ」

「あくまでたとえ話になってしまうが、通販だと相手にモノを送ることになるので、何らかの景品をつけてアンケートを返してもらうといいかもな。そして、景品を送るときに、その商品に纏わる逸話とか、思いを書いたものを入れるとか、相手の興味を引いておく。そして、あまり時間が経たないところで、割引券やカタログを贈るとか、とにかくつながりを維持し、相手に再度購入したいと思わせることを目指すんだ」

「そういえば、ネットで何か買うと、いろんなモノが入っていたりするな。定期的に季節に合わせたダイレクトメールが来たりもするのがその手法か。でも、最初に買ってくれないとつながりは出来ないよな。広告を打つのはコスト的に難しいぞ」

「今は、ネットを使えばいろいろな手段があるさ。良くあるのは、セットで極端に安くして、まずは注文してもらうというのが多い。ほら、健康食品などが良くやってるだろう」

「確かに。でも、本当に売れるまで赤字続きになるんじゃないか」

「もちろんその辺は慎重に考える必要がある。その煎餅屋さんは、現状はOEMやプライベートブランドでベースはあるわけだから、チャレンジするなら今かもしれない。商品に自信があるなら、リピーターが増える可能性は高い」

「まずは見込み客を増やす。その見込み客に更に行動を起こさせる仕組みを考える。ファンにしていく、か」

「そういうことだな。忘れてはいけないのは、その社長が言うように、お客さんの声をしっかりと受け止めて、声に応えた商品やサービスに取り組むことだ。そして、その取り組みも必ずフィードバックすることで、信頼感を得ることが出来る」

(続く)


《1Point》
ダイレクトマーケティング

 先日、近江商人の言葉を出しましたが、富山の薬売りなども、顧客との個々のつながりを重視したマーケティングと言えると思います。
 
 手法よりも、真摯な行動が重要なのではないでしょうか。
 
 マーケティングを専門に行っている人などは、レスポンス率やコンバージョン率などで計算をしたりするのでしょうが、まずは、自社のお得意様がリピーターとなり続ける自社の強みを意識することを忘れてはいけません。
 
 小説内で出てきた健康食品の例で、サンプルやお試し商品をわざわざ注文する人は、ほぼ間違いなく健康に興味がある人ですから、その後の別の健康関係の情報でも繋がる可能性は高いと思えますね。
 
 ダイレクトマーケティングとは、顧客との関係を強化していくことにあると言えるでしょう。
 
 ちなみに、グロービスのMBAマーケティングテキストの目次や索引にはダイレクトマーケティングという文字はありませんでした。
 
 ダイレクトマーケティングという手法ではなく、本来のマーケティングが、ダイレクトであるということかもしれないと、勝手に考えています。

→(65)DRMとCRM