居酒屋で経営知識

61.近江商人の言葉

【主な登場人物】
ジン(北野):主人公 サラリーマンの傍ら経営コンサルタントをしている
黒沢:居酒屋みやびの大将 酒と和食へのこだわりが強み
由美:居酒屋みやびの元看板娘 黒沢の姪
雄二(鳶野):ジンの幼なじみ ジンの応援で起業した
大森:みやびの常連 地元商店街の役員
近藤:みやびの常連 建設会社顧問
亜海:居酒屋みやびの新しいアルバイト
原島:ジンの高校の大先輩。新社長としてジンにアドバイスを求めている。

「へい、いらっしゃい。毎度。あっ」

「こんばんは。ご無沙汰しています」

「そうですよね。あの、ジンさんの後輩の、ええっと・・・」

「優子です。もう5年以上前だったですから」

「今日はジンさんと待ち合わせですか?」

「いえ、電話番号も知らないんです。今は主人の転勤で中国にいるんですが、実家の母の具合が悪いというので私だけ帰国しているんです」

「そうでしたか。なんなら電話しましょうか。たぶん、今日あたり顔を出すと思いますよ」

「会えたら嬉しいですけど、私も近くの友達に会いに来て急に思い出したんでこのお店のお鍋が食べられれば満足です」

「ま、奥の方が暖かいですから入ってください。何にしますか?」

「えっと、あの、キクマサの熱燗をお願いします」

「そうだそうだ。ジンさんと対等に飲める貴重な存在だって言ってましたね」

「ウソですよ-。ジンさんと張り合ったこともありませんし。でも、おいしいお酒の飲み方は随分教えてもらいました」

 奥のテーブルに1人で座った姿は、その長いストレートの髪とラフに着込んだ革のジャケットで際立っていた。

「優子さん、ジンさん、やっぱりこっちへ向かっているそうですよ。すぐ着くみたいです」

 優子の顔に満面の笑みが広がった。

「大将、ありがとうございます。なんか、ドキドキします」

「いらっしゃい。ジンさん、優子さんがお待ちですよ」

「優子・・・久しぶりだなあ。どう、元気だった」

「ジンさん。本当にお久しぶりです。変わってないですね。なんか、涙が出そう」

「おいおい。1人?座ってもいいか」

「ええ、もちろん。今日は、昼間に美沙に会ってきたの。で、別れてから、このお店を思い出して、まだあるのかなあって来てみたの」

「確か、結婚してすぐ中国へ行ったよね。今は?」

「今も中国なの。上海にいるんだけど、母が調子崩したって連絡で、私だけ帰国中なのね」

「え、優子のお母さんが。大丈夫かよ」

「うん。まったく。ちょっと寂しかったのかもね。弟もアメリカへ転勤してしまったから。一応入院してたんだけど、顔を出したら即退院。でも、中国はもうすぐ春節のお休みだから、このまま今月一杯日本にいることにしちゃった」

「そうか。まあ、乾杯しよう。お久しぶり」

 優子は幼なじみで、一つ下だが、高校も一緒だった。何となく、兄妹のような付き合いだったのだが、俺の同級生で同じラグビー部の大山という男と結婚したのだ。

「大山は元気か?」

「ええ。あの人は仕事があれば元気ですからね。とはいいながら、中国のビジネスは大変みたい。時々、ジンさんの話が出て、帰国の時も、ラグビー部の先輩の会社を立て直したって話から、ジンさんに見てもらいたいなんて言ってたわ」

「へえー。もしかして、原島先輩の話が誰かから伝わってたのかな。別に立て直したなんて大げさなものじゃないけど」

「ほら、今年は筑波のラグビー部が国立に出たでしょ?上海に筑波の先輩がいるらしくて、その人がその原島さんとFacebookで繋がっているようなことを言ってたわ」

「なるほど。大山は何に苦労してるって言ってた?」

「基本的に、日本のやり方が通用しないから、何か問題が起こるたびに違うやり方に変えるんだけど、それがまた問題を起こしたりするみたい」

「あいつは新しいことにすぐ飛びつくタイプだったからな。たぶん、ベースがぶれてるんだろうな」

「確かにそうかも。お客さんの質が悪いとか、取引先が信用できないとか、ぶつぶつ言いながらも、新しい情報を聞くとすぐ手を出してるみたい。ねえ、ジンさん。何か、あの人に落ち着いて考えられるような合った理論はないのかな」

「理論で動く奴じゃないし。そうだなあ・・・あれなんかどうかな」

 ふと、思い出した。

「実は、この間、取引先の研修を手伝ったんだけど、その時に近江商人の言葉をテーマにしたから、確かそのプリントがあったはず」

 偶然にも鞄の中に入れたままにしていたのだ。

「これこれ。近江商人の三方良しと十か条だ」

「近江商人?中国人に当てはまるのかな」

「中国人だろうとロシア人だろうと、商売の基本はあまり変わらないということをもう一度考えるように伝えてくれるといいな。たぶん、今は表面上のことだけでなんのために商売をしているのかわからなくなってしまっているんだと思うんだ。だからこそ、この近江商人の言葉を何度も読んで欲しいって言っていたって」

「わかったわ。ありがとう。きっと喜ぶわ」

 プリントを渡し、自分でも読み上げてみた。
 
「近江商人の三方良し
『売り手よし、買い手よし、世間よし』

これは、今では『Win-Win-Win』という言い方で、世界標準の考え方になっているかもしれない。ただ、世間よしというところが、Winの考え方から抜けることもあるので三方良しの方がいいと思う。

そして、近江商人の十か条

一、商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり。
一、店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何。
一、売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる。
一、資金の少なきを憂うるなかれ。信用の足らざるを憂うべし。
一、無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ。
一、良き品を売ることは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに善なり。
一、紙一枚でも景品はお客を喜ばせるものだ。つけてあげられるもののない時は、笑顔を景品にせよ。
一、正札を守れ。値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ。
一、常に考えよ、今日の損益を。今日の損益を明らかにしないでは寝につかぬ習慣にせよ。
一、商売には好況、不況はない。いずれにしても儲けねばならぬ。
というものだ」

「私にもわかる気がするわ。ありがとう、ジンさん」

「そうだ。優子にもメールと携帯教えておくよ」

「ありがとう。今回も連絡取れなくって・・・ここへ来て大正解だったわ」

「ま、週に2回は来てるからね。それでも、今日会えたのは偶然だったよな」

 たぶん6・7年ぶりの再会だった。

「大山や原島さんがFacebookを使っているのか。俺もやってみるかな。優子は?」

「見よう見まねでね。上海にいる日本人の情報交換には便利よ。顔がわかるから、情報も安心よ」

「なるほど。そういえば雄二でさえ、やってるって言ってたなあ」

「あ、雄二さんもお元気?あの人が元気ないはずはないけど」

「当然元気だよ。あいつも独立して会社を作ったんだ。今じゃ、従業員を30人くらい使っている社長さんだよ」

「すごーい。ジンさんもそのうち独立するんじゃないかって思ってたんだけど」

「そのつもりだったんだけどね。今は、会社の中で成果を挙げて、それから先のことを考えることにしたんだ」

「そっか。やっぱりジンさんらしいわ。Facebookデビューしたら友達申請してね」

「ああ、もちろん」

 ちゃんこ鍋を注文し、昔話に花が咲いた。楽しい夜だった。

(続く)


《1Point》
・【近江商人の三方良し】
「売り手よし、買い手よし、世間よし」

・【近江商人の十か条】

一、商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり。
一、店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何。
一、売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる。
一、資金の少なきを憂うるなかれ。信用の足らざるを憂うべし。
一、無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ。
一、良き品を売ることは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに善なり。
一、紙一枚でも景品はお客を喜ばせるものだ。つけてあげられるもののない時は、笑顔を景品にせよ。
一、正札を守れ。値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ。
一、常に考えよ、今日の損益を。今日の損益を明らかにしないでは寝につかぬ習慣にせよ。
一、商売には好況、不況はない。いずれにしても儲けねばならぬ。

 近江商人の十か条の出典を忘れてしまったので検索しましたが、確実なところは見つかりませんでした。
 
 また、十か条ではなく「商売十訓」という書き方をしているところも多いので、いろいろなところで使われているというところでしょうか。
 
 内容は変わりませんので、このまま載せておきます。
 
 読めば読むほど、ドラッカーの考え方とダブってきます。基本は同じだということでしょう。

(60)弁証法