居酒屋で経営知識

24.暗黙知とマニュアル化

【主な登場人物】
ジン(北野):主人公 サラリーマンの傍ら経営コンサルタントをしている
黒沢:居酒屋みやびの大将 酒と和食へのこだわりが強み
由美:居酒屋みやびの元看板娘 黒沢の姪
雄二(鳶野):ジンの幼なじみ ジンの応援で起業した
亜海:居酒屋みやびの新しいアルバイト
原島:ジンの高校の大先輩。大企業の関連企業社長

「へい、いらっしゃい。ジンさん、毎度」

「お、来た来た。ジンさん、待ってました」

 カウンターの奥から大森さんが手を振ってきた。

「大森さんが待ってたなんて。なんか、イヤーな予感がするなあ」

「お、聞き捨てならんね。まあ、まあ、それはそうと、亜海がビール持って待ってるから、まずはこっちへどうぞ」

「やっぱり、変だなあ。亜海ちゃん。仕方がないので、大森さんの隣に置いて」

「はーい。ジンさん、また、弱ったよおって言われるのね」

「こら、亜海。余計なこと言うんじゃない」

 大森さんが苦笑しながら杯を上げた。

「お疲れ様でした」

「ジンさん。今日は、まだまだ高いサンマが入ってるらしいよ。塩焼きなんかどうだい?」

「え、ええ。そりゃ、頼みますけど、やっぱり気持ち悪いんで、用件を先に言ってもらえますか」

「気持ち悪いっていうい言い方も何だなあ。ま、黒さん。サンマをジンさんに焼いてよ。もちろん、俺の奢りだ」

「あ、ありがとうございます・・・それで、なんなんでしょう」

「あ、うん、まあ。その、察しの通りうちの会社の話だ・・・」

「お、由美っペか。いらっしゃい。今、ジンさんが大森さんに絡まれているところだよ」

「黒さん、絡まれているってのはないだろ。由美もこっちへどうぞ」

「大森さん、また、ジンさんに無理難題を押しつけてるのね」

「由美まで、なんだね。みんなして。いいだろ。俺とジンさんの仲だ。時々、相談事くらいあるさ」

「ははは。大森さん、そんなに気にしてるからおかしいんですよ。どうぞどうぞ。診断士の実務ポイントでも随分お世話になってるんですから」

「うん、そうだな。いや、何ね。ジンさんのアドバイスのおかげで、営業所も増えたし、従業員も増えて、我ながらうまくいってると思うんだ。でも、最近マニュアル的だっていう感想が多くなってしまっているんで、どうしたもんかなあって悩んでるんだよ」

「あ、そうかあ。大森さんの会社が職人の暗黙知に頼りすぎているっていうので、随分、ジンさんが手伝ってたわよね」

「由美ちゃんも良く覚えているね。大森さんの会社がまだ、本店と営業所1ヶ所だったときですよね。それでも、古くからの顧客データが大森さんと古参の営業部長の手帳とか記憶にしかなくて、営業所などでトラブルが増えてきたので、暗黙知の形式知化というテーマでシステムを導入したのがきっかけだったね」

「いやー、あのパソコンと携帯のシステムには随分助けられたよ。なんと言っても、営業所の若手でも、店番のアルバイトでも最低限の対応が出来るようになったし、新たなお客さんについても我々に伝わるようになったからね」

「そうでしたね。でも、マニュアル的になってしまっているっていう感想が増えてしまったので、本来の個人ファンを増やすっていう目標からずれてしまったってことですね」

「ジンさん、その通り。よくわかったね。実は、ジンさんに作ってもらったシステムだったんで、相談しづらかったんだよ」

「それは、実を言うと最近心配していたところだったんですよ。これまで、同様のアドバイスを行ってきたコンサルタントの世界で密かに増えてきた相談事の一つなんです」

「ふーん。でも、暗黙知から形式知へ転換していくことが重要だっていうのは基本的な考えだったんじゃないかしら」

「由美ちゃん。SECIモデルって頭に入っているよね」

「ええ、それを考えていたの。個々の暗黙知から共同体験によってみんなの暗黙知にするのよね。それから、複数のメンバーで形式知に変換するという流れだったわ。ええっと、Socialization・Externalization・Combination・Internalizationの頭文字だったわよね。Internalizationって、何だったかしら」

「さすが。Internalizationというのが、内面化と言って、形式知を組み合わせながら新たな知識を創り、それらをみんなで実践しながら、より高いレベルの暗黙知を獲得するということだったよね。つまり、今回の大森さんの悩みは、職人の暗黙知をみんなで体験しながら形式知化するところまでは進んだけど、そこで次のステップに進む壁にぶつかっているんだと思うんだ」

「なんだい、二人で難しい話になってきたなあ。それがマニュアル化の弊害ってことかい?」

「弊害というか、いつまでもマニュアル的な対応をしていても新たな展開につながらなくなってしまうということです。今、由美ちゃんの言ったSECIモデルというのは、連鎖しながら繰り返すことでより良くなっていくモデルなんです。暗黙知と形式知はわかってもらっていますよね」

「もちろんだよ。暗黙知は個人の中にしかないノウハウなんかだよな。それでは、その人だけしか出来なくなってしまうから、それを出来るだけ、データ化したり、フローなんかの図示にして、他の人も利用できるようになった知識が形式知だ、と。その一つがマニュアルだな」

「そうなんです。ただ、マニュアルは陳腐化したり、時流に合わなくなったり、いつまでも同じことでは済まなくなりますよね」

「まあ、そうだな。マニュアル対応ってのは、形式的すぎるって言われるな」

「つまり、マニュアルで身につけた知識や型をそれぞれが改善・修正して新たなノウハウを創っていくプロセスとその結果、また暗黙知化したノウハウを、みんなで実践しながら新たなマニュアルにしていくという作業が必要なんですよ。平たく言うと改善活動もその一つですね」

「そうか、そうか。考えてみれば当たり前だな。マニュアルで動けるようになれば、今度はそのマニュアルに縛られないようにしなけりゃ、いけないし、マニュアルの改良をすると考えれば当たり前の考えだ。俺自身の頭の中もマニュアル化してしまったようだな。じゃあ、ジンさん、具体的にはどうしたらいいだろう」

「そうですね。まずは、担当者一人一人のマニュアルの習熟度を見て、ある程度のレベルになっている者には、個人商店としての活動をさせてみたらどうでしょう。もちろん、組織の中で働いてもらうんですけど、責任と権限の範囲を大きくして、例えば、営業なら、この顧客とか、この地域は俺が一番知っているんだという意識で、オレがオレがという行動を推奨するんです」

「あら?ジンさん。それって、ジンさんの会社の営業も問題だって、オレがオレがっていう営業を変えなければ言っていた逆のことよね」

「そういうことなんだ。これは、サイクルという見方をしても、必ず、戻ってくる活動が必要になるんだ。簡単に言うと、行ったり来たりが必要だってことだね」

「行ったり来たりね。SECIモデルも、個人の暗黙知を共同の暗黙知にして、形式知へ変換させるけど、その後は、更に暗黙知を獲得するってなっているわね。それが、行ったり来たりっていうことなのね」

「何事も単純に進む訳じゃないってことだね。ただ、単に戻るんじゃなくて、1ステップ上昇していることが必要だけどね」

「うん、うん。何となくわかってきたよ。ジンさん、ありがとう。確かに、マニュアルでうまくいってきたので、今度は、マニュアルから外れることを恐れるようになっていたのかもしれないな。経営は常に変化を捉えて、対応する必要があるっているジンさんの口癖を忘れていたよ」

「大森さん。口で言うのは簡単なんですが、現場では変化するっているのは至難の業なんですね。自分も近々、大森さんの各営業所を回らせてください。現場の意見も良く聞きたいですから」

「おおー、その言葉を待ってましたよ。是非よろしくお願いします」

「それじゃ、一件落着ね。大森さんもジンさんも、飲み直しましょう。サンマも出てきたわ」

「うまそうー!」

 ジューっていう音と共に、サンマの香りがカウンターに立ちのぼった。さあ、秋の味覚を楽しむぞ。

(続く)


《1Point》
SECIモデル
S(Socialization):共同化 暗黙知→暗黙知
E(Externalization):表出化 暗黙知→形式知
C(Combination):連結化 形式知→形式知
I(Internalization):内面化 形式知→暗黙知

 暗黙知と形式知が個人と組織(集団)の中で絶え間なく変換し、これらがスパイラルして新たな知識が創造されると考えられています。

 暗黙知の形式知化が難しいこともあり、脚光を浴びますが、実際には形式知化することで、本来のノウハウからそぎ落とされてしまう部分が多く出てしまうことからも、常に、形式知自信のブラッシュアップが必要です。

 形式知を活用しながら、新たな暗黙知を育成していくという意識が忘れられないようにしなければいけないと思います。