居酒屋で経営知識

76.自己目標管理

【主な登場人物】
ジン(北野):主人公 サラリーマンの傍ら経営コンサルタントをしている
黒沢:居酒屋みやびの大将 酒と和食へのこだわりが強み
由美:居酒屋みやびの看板娘 黒沢の姪
雄二(鳶野):ジンの幼なじみ ジンの応援で起業を目指している
大森:みやびの常連 地元商店街の役員
近藤:みやびの常連 建設会社顧問

(前回まで:PPMに続いてSWOTの使い方についての問題点を具体的に考えてみました)

 寒暖の波が寒気側に振れることが多くなってきた。

 定時に会社を出たのに、既に暗くなってしまっていることに今さらながら驚いてしまう。

 不景気になると鍋料理が流行るというのは、誰が言ったわけでもないだろうが、今年も鍋料理がテレビで紹介されているようだ。

 そして、居酒屋みやびが一躍有名になっていた。 「ちょっと今、テレビの取材が帰ったところなんで散らかってましてすいません」

「最近マスコミ取材が多いですね。おかげで行列の出来る店になりつつあるんじゃないですか」

 みやびのちゃんこ鍋が女性向け雑誌に取りあげられると、他のマスコミも押しかけてきているようだ。

「うれしい悲鳴と言うより困惑ってところですかね。常連さんで保っていた店ですから、あの行列で諦めて帰って行かれるのが申し訳なくて」

「ここは難しいところかもしれませんね。大将の舵取り次第ですよ」

 片付けを終えた由美ちゃんが顔を見せた。

「あ、いらっしゃい。ごめんなさい、今、生ビール入れますね」

「由美ちゃんも慌てなくていいよ」

 今日は、開店前に来てみたのだ。既に、数人が情報誌などを手に並んでいた。

「開店前の店に入るのに気が引けましたよ。関係者という顔をして入りましたが」

「はい、ジンさんは関係者ですから大丈夫ですよ。そろそろ開店しますね。今なら、満席の人数じゃなさそうですね」

 一気に店内が騒がしくなった。ほとんどが女性客だ。最初から鍋を頼むグループも多く、大将も大忙しとなっている。こんな状況でも、カウンター席は予約席として常連用に空けているようだ。

 「いらっしゃい。近藤さん、お待ちしてましたよ」

 建設会社の顧問をしている近藤さんがいつものようにやってきた。

「やあ、ジンさん。今日は早いね。まさか、並んで入ったんじゃないだろうね」

「申し訳ないと思いながらガラス越しのアイコンタクトで入りました」

「そりゃそうだなあ。今も10人近く並んでいるよ。これからは寒くなるので大変だろうなあ」

 近藤さんはいつもの菊正宗で盃を進める。

「早いと言えば、この間、鳶野さんとも話してたんですよ。ジンさんの会社の時間管理は素晴らしいという話です。営業課の皆さん、ほとんど定時で帰るって聞きましたよ。でも、その中で、実は家に仕事を持って帰ってないのはジンさんだけだというのも驚きです」

「ははは。雄二の奴、そんなこと言ってましたか。うちの会社は自己目標管理を人事戦略に位置づけてますから、各自が自己管理を徹底してるんです」

自己目標管理?確か、うちでもMBOとか言って目標管理を掲げてますけど、何か違うんですか」

「あ、そうですね。結構誤解があるようですね。一般的に、MBOと言うと、Management By Objectivesになるんですが、目標管理を強く唱えたピーター・ドラッカーは、その後に、and Selfcontrolを付け加えることを忘れてはいけないと言っています。つまり、自己管理ですね」

「MBOだけではいけないと言うことですか?」

「目標管理という言葉が誤解を生んでいるというのが実感ですね。この考え方を取り入れた会社は、とにかく、各担当者に具体的な目標を作らせて評価すればいいと思いがちですね。必ず面接をしなさいと言う点は評価できますが」

「確かに、私もこの目標と評価の検討会に出たことがありますが、正直言って目標のレベルはバラバラです。ほとんどが、現在やっていることを羅列しているだけなんじゃないかなあと思いましたね」

「うちの会社のいいところは、アンド・セルフコントロールを強調しているところだと思います。ドラッカーは著書の中で石工のたとえ話をしています。同じように石を削っていた3人の石工に『何をしているのか?』と聞きます。3人はそれぞれ『これで食べている』、『国で一番の仕事をしている』、『教会を建てている』と答えるのです。目標管理を考えるとどの答えがいいと思いますか?」

 近藤さんはしばらく考えを巡らせていた。

「『これで食べている』、は目標を持っていませんね。やはり、『国で一番』というのが明確に聞こえますね」

「そこが難しいところなんです。『国で一番』というのは専門性だけを取りあげてしまっています。個人にとっては専門でのスキル追求は重要です。ただ、ちょっと考えて欲しいのは、彼の携わっている教会建設という事業の目的を忘れてはいけないと言うことです。上司はそこを明確にしなければいけないのです。目標というのは上位目標の成功への貢献でなければいけないと言えるのです」

「それがセルフコントロールなわけですね。専門部門も上位目標に合わせた自分の目標をたてなければいけないということですか」

「そうですね。どんなに国で一番の仕事をしても、そのために教会建築のコストが膨らみ、納期を守れなければ事業の目標は失敗に終わります。つまり、ここが大事なんですが、上から下へ通達すると言うより、下から上を見て検討するのです。だから、上司は部下の言葉に耳を傾けることが必要になってきます」

「すごく難しそうですね」

「そうですね。この考え方は少し安易に取り扱いすぎかもしれませんね。1人ひとりに自律を求めているわけですから、非常に厳しいものだと思います」

「私にも後で自己目標管理を教えてね」

 忙しそうに働く由美ちゃんがボソッとつぶやいて、新しい客のためにテーブルを片付けに行った。

 みやびはますます女性客に埋められていった。(続く)

《1Point》
自己目標管理

 一般的に「目標管理」と言われています。MBOと略されますが、生みの親と言われるピーター・ドラッカーは、「Management by Objectives and self-control」と書いており、翻訳者の上田惇生氏が訳語に苦労していたという逸話があります。

 逸話とは、森岡謙仁氏が言った講演会の一言に閃いてこの訳語に変更したと言うものです。この実際の経緯は日経BP社ののサイトで読むことが出来ます。

 つまり、単に目標管理として利用してしまうとセルフコントロールという重要な面を忘れ去ってしまうということになってしまいます。  なお、本文中にある石工の話は、「現代の経営」(上)P167(ドラッカー名著集第2巻 上田惇生氏訳 ダイヤモンド社)にあります。

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