老朽化か

今の家を購入し、引っ越しが完了したのは1999年の12月の下旬だった。

つまり、ほとんど2000年の正月から住んでいることになる。そうすると14年目ということか。建て売りで完成したときから数えると15年になるのかもしれない。

玄関の鍵が調子悪くなっていた。

二つある鍵のうち、下側の鍵がうまく回らない。最近は、下の鍵をかけないようにしていた。

元々がピッキングに非常に弱いタイプであったので気にしていたのだが、鍵屋に頼むと数万円かかるというので二の足を踏んでいた。

壊れてしまっては仕方がないので、調べてみるとシリンダー交換は自分で簡単にできるらしい。その際、防犯タイプのものに替えることも簡単そうだった。

先週、慎重に調査し、ネットショップからシリンダー錠2ヶ+キー6本で約1万円のものを購入。

本日、交換にチャレンジした。

正直言って、簡単だ。

タイプさえ慎重に確認すれば、ねじを外して、交換するだけ。

 

ということで、新しい鍵への交換完了。

と同じ時期、ビルトインコンロの強火がつかなくなった。

センサーが悪いというところまでわかり、つけ直してみるが、全くダメ。修理を頼むと2万円近くかかるとのこと。

それ以上に、開けてみると中はさびでボロボロになっている。

これは交換するべきだろうと調査。

ビルトインは勝手に交換が出来ないことが判明。資格を持った工事業者に頼むのが必須。

台に置くだけのガステーブルなら、1万円~2万円くらいで結構いいものがあり、工事もいらないのに、ビルトインは、ほとんどが定価10万円を超える。その上、工事代が2万円前後。

どうして?

ところが、更に調べると、ビルトインコンロの通常売価は定価の半値が当たり前。新しいものだと、ほとんどが14万円くらいの定価をつけていて、ネットでも店舗でも、ほとんどが7万円くらい。

倍掛けの値付けを定価と称しているようだ。

結果的には、某店舗の展示品現品限りの工事込みのものを見つけ決めた。

事前に一度、現況調査があり、時間がかかる。今の時期は特に混んでいるという。

通常でも一週間かかるとのことで、完全に壊れた場合、一週間煮炊きが出来ないということになる。

しかし、工事は、30分もかからず。

エアコン工事などに較べても非常に簡単なものなのに、規制を利用して高い値段を維持していることがわかる。

そういえば、値段的にもエアコンと同じくらいだと気づく。

工事費としての明示が本当に工事業者に入る代金なのかわからないが、エアコンはほとんど標準工事費1万円。2人来ても1時間以上かかる。1人で来て、3時間ほどかかったことすらある。

工事費のほとんどは人工だと思うが、30分の取り外しが2万円で、2時間/人くらいかかるエアコンが1万円ということか。

そういう現実を知った。

それにしても、次はどこの補修・交換になるのか・・・

PS.隅田川の花火に行こうかと思っていたが行かなくて良かった。スタート30分で雨のため中止。一時的に、豪雨模様だった。浴衣で行った人たちは大変だったろうなあ。

Filed under: 日記・コラム — みやび仁(管理人) 10:39 PM

友人の死と再出発

7月6日(土)未明、彼は亡くなった。

メルマガでも公表したので、自分の人生の記憶として、記録しておこうと思う。

彼は、大学のラグビー部の同期として知り合った。もちろん、10代の多感な、そして、まだ古き良き体育会系の雰囲気の中で付き合いが始まったというわけだ。

われわれの学年は、卒業時には11名という非常に少ない、たぶん稀な学年だった。上下の学年は、20名以上はいた。

それ故、非常に仲がいいとも評されていた。

卒業後は、東北に1人、関東に4人、中部に2人、関西に1人、四国に1人、九州に2人に分かれたが、結婚式を中心に良く集まった。全員はむずかしくても、誰かが東京に来るとなると集合をかけたり良く飲んだ。

特に、関東にいる俺と千葉の教員2人(彼はその1人)は、集まりの常連。

彼はいつも嬉しそうにやってきては、べろんべろんに酔っぱらって、帰りには電車を乗り過ごしたり、乗り間違ったりの常習犯だった。

4年ほど前、卒業後20年を超えたのでたまには東京から離れて、なかなか会えない2人がいる九州で集まることにした。

九州のメンバーが奮闘し、別府と湯布院で宿泊。ゴルフとチーム勝負での関サバ奢りと久しぶりに大盛り上がりだった。

しかし、それから1ヶ月ほどしたころだろうか。彼は下血が酷く、病院に行くと緊急入院・即手術になった。大腸ガンだった。

しばらくしてから本人から聞いたのだが、人口肛門になったのが不便だが、すべて摘出できて、問題ないというのでホッとしたのを覚えている。

それから、また、普段の暮らしとなり、集まっては酔っぱらって、後日やはり乗り過ごしたという報告を大笑いしながら飲んで過ごしていた。

2年前から我が筑波大学ラグビー部の大進撃が始まったので、秩父宮や国立競技場で集まるという日々となった。

彼の長男は、一浪しながら筑波大学へ入学。晴れて父親と我々の後輩となった。

昨シーズンは、更に躍進し、二年連続の正月2日の国立(準決勝)

その時は、彼は風邪を引いたとのことで来なかった。

そして、決勝へのきっぷを手にした我々は、OB・父兄・スタッフと盛り上がった後、同期で飲み直した。

その時、同じ千葉で教員をしている奴から「落ち着いて聴けよ」と突然話があった。

年末、ガンの転移が見つかった。すでに、手の打ちようがなく末期ガンだとのことだった。みんなで言葉を失った。

悪酔いしていきながらも、俺は、担当医をして奇跡と言わせた元上司の話を何度も繰り返した。その元上司は、末期の胃がんで8ヶ月の命と言われたが3年間元気に生き続け、直接の胃がんはきれいになってしまった。その時の担当医が奇跡だと言ったらしい。ただし、転移があるので完治ではなかったのだが、その後、交通事故で亡くなり、ガンでは死ななかった。だから、今度も奇跡は起きるはずだと全国へ電話をしながら酔いつぶれた。

彼は、息子が出る試合は、痛みに耐えながら観戦に行くという話を聞き、できる限り一緒に試合を観戦することにした。また、遠方の同期を集めるため、再婚し、披露宴をしていない同期の披露宴を我々でやってしまうことを決めた。

披露パーティーは3月末に行い、彼も骨盤転移で不自由となった足を引きずりながら参加。とにかく、みんなで騒いだ。

疲れたので2次会はやめとくと言って、酔っぱらっていない彼が、みんなと会場の外で握手をし反対方向へ歩き出した。これまで絶対に弱みを見せなかった彼の後ろ姿は大きく震えていた。あいつが泣きじゃくっている。見ていられなかった。

6月には、我々の代の部長宅に集まってBBQパーティを開催。長男も連れてやってきた。

庭で撮った集合写真は、カメラ担当の変な動きから全員が笑い転げる写真となり、額入りでみんなに配ってもらった。

その後、長男が1本目に先発という情報に試合会場に駆けつけると、父親の目の前で息子がトライを決めてみせた。

6月末、春シーズンが終わり、ラグビー部のBBQ大会が行われたが、彼は体調を崩し欠席し、その直後、入院したと連絡が入った。

7/1、俺は行けなかったが、本人も非常に弱気になっていたとのことで、2日に見舞いに行った。ただ、その時は、非常に調子が良くなっており、みんなも安堵した。その後、全国のみんなも心配しているので、電話会議システムをつかってみんなの声を聞いてもらう提案があった。

7/7は、彼ら夫婦の結婚記念日なので、その日に奥さんも加わってもらい、みんなの元気を集めることが決まった。

そんな準備をしていた5日に急変。緊迫した知らせにも、俺は、出張中でどうしようもなく、千葉にいる1人が駆けつけた。

6日未明、電話で旅立ちを知った。

葬儀は、生前に彼が決めていた形で行われた。

無宗教式で坊さんなどは無し。戒名もなし。音楽は、教え子のピアノ演奏とする。

お通夜は、1000人を超える参列に大変な状況になった。ラグビー関係者の受付をしたが、ラグビー関係者だけで400人くらい来た。

そして、葬儀。筋肉隆々を誇っていた身体は小さくなっていたが、多くの人に見守られ最後のお別れへ。

そして、向かった火葬場はなんと現在の職場(高校)の隣だった。霊柩車は、学校のグランドの前を通り、路肩には教え子達がずーっと並んでいた。ラグビー部の子が音頭を取ってたぶん校歌を歌って、最後のお別れをした。

彼は、その火葬場を指定していたそうだ。

葬儀から2週間が過ぎた。

彼との思い出はいつまでも変わらないが、俺たちがしなければいけないこともある。

彼が見守ってくれている中、再出発だ。

合掌、そして、顔を上げよう。

Filed under: 日記・コラム — みやび仁(管理人) 1:39 PM
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