(12)断絶の時代

(12)断絶の時代
ドラッカー名著集7
まぎれもなく日本で大ブレークした。そして、そこから学ばなかったとも言えるのではないか。
第1部:企業家の時代
 第1章:継続の時代の終わり
 第2章:新産業の誕生
 第3章:方法論としての企業家精神
 第4章:経済政策の転換
第2部:グローバル化の時代
 第5章:経済のグローバル化
 第6章:途上国の貧困
 第7章:経済学の無効
第3部:組織社会の時代
 第8章:多元化した社会
 第9章:多元社会の理論
 第10章:政府の病い
 第11章:組織社会に生きる
第4部:知識の時代
 第12章:知識経済への移行
 第13章:仕事の変化
 第14章:教育革命の必然
 第15章:問われる知識
ドラッカーの言葉該当ページと独り言
手動のトロッコはゲリラ戦で活躍する。後続の列車のためにレール下の地雷を見つける。本書はそのトロッコである。「まえがき」1ページ目
自動ではわからないものもある。新型の地雷はデータベース化されていない。つまり、自分の目で見ることでしかわからないことが今の時代だ。
政治、科学、世界観、慣習、芸術、戦争は変化した。しかし最大の変化があったとされている領域が、この半世紀もっとも変化しなかった。それが経済だった。P1
経済の理論で危機に対処するということ自体、すでに誰も信じなくなっているのではないだろうか。それとも、使い方がわからないのか。
生産性向上の主たる要因は、産業そのものにあるのではない。それは、生産性の高い産業が、生産性の低い産業よりも急速に成長することによる。P9
生産性向上はどこでも言われる。でも、ある部門の生産性向上のために間接部門のスタッフが増えていないだろうか。
情報が手に入りやすくなることによって、もっとも影響を受けるのが、教えることと学ぶことである。今日、人類最古の、しかも最も時代遅れの技能である教えることについて、新しいアプローチ、方法論、道具が必要とされている。同じように学ぶことについても、生産性の急激な向上が求められている。P16
本当は、教育の世界の生産性向上が最重要課題ではないのだろうか。
しかし、コンピュータが現れなかったならば、情報とはエネルギーの一種であると言うことは理解されなかった。電気は、機械の仕事のための、最も安く最も豊富で使いやすいエネルギーである。これに対し情報は、頭の仕事のためのエネルギーである。これからはこのたぐいの仕事のためのエネルギーが最も必要となる。P17
確かに、今「情報」はとてつもない量であっても、簡単にアクセスすることができるようになった。ただ、それをアウトプットとしての成果に結びつけられるかどうかは別だ。
例えば輸送の問題は、人間が移動しやすくする代わりに、移動をしなくてもよくすることによって解決される。情報を人間の方へ移動させればよい。P23
この提案に回答は示せたのだろうか。これはヒントなのだろうか。
今日再び企業家精神を強調すべき時代に入った。ただしそれは、一世紀前のような一人の人間が起業し、マネジメントし、支配する企業家精神とは違う。P29
「起業家」精神ではなく、「企業家」精神であることは、強調されるべきだ。
企業家精神も、個人の企業家の段階を経た後、組織を使った高次の企業家精神の段階にいたる。P29
組織をマネジメントをすることによって継続する組織を可能にする。
しかしそれにもかかわらず、彼こそが真のイノベーターだった。彼は大量生産、大衆市場、大量販売というビジョンを生み出した。製品やアイデアよりも、ビジョンが経済、社会、文化に影響をもたらす。P34
ヘンリー・フォードを評した部分。
製品や機械自体は特に目新しいものは無かったのに、それでも言えるのだ。
企業家たるものは、これら技術のダイナミクスだけでなく、市場のダイナミクスも知らなければならない。市場がイノベーションをもたらす。P38
技術の成果ばかりに気を取られてはいけない。技術を価値あるものにするのは、市場で注目された時である。
ということは、わが社の製品のための顧客という考え方はしてはならないということである。P40
顧客視点で、期待、行動、価値を考えるということは、自分の事業や製品、サービスから考えてはいけないと言うことだ。
売上げを増やし雇用をもたらすものは技術であると思われている。だが、技術は可能性を教えるにすぎない。可能性を顕在化させるのはマーケティングである。イノベーションとしてのマーケティングである。P42
製造業もIT企業も自らの強みである「技術」からスタートし、「技術」で勝とうとする。コストダウンも「技術」だとする。しかし、顧客は自ら価値とするものしか欲しがらない。
真の経済発展とは既存のニーズや欲求をより多く満たすことではない。それは選択肢を増大させることである。ニーズと欲求の拡大である。これがマーケティングの機能である。マーケティングとは、技術変化を経済的に意味のあるもの、欲求の満足へと転換することである。P43
企業の目的はつまるところ「顧客の創造」である。
判断することだけを仕事とするトップはアイデアを拒否する。非現実的であるとする。生煮えのアイデアを体系的な行動に転換することを自らの仕事と考えるトップだけが、イノベーションを可能とする。P46
行動の結果は予測できない。つまり、アイデアは常に可能性を秘めている。しかし、アイデアだけではビジネスとはならないのも確か。ビジネスプランに落とし込む知恵が必要だ。
イノベーションにおいて重要なことは、成功すれば新事業が生まれるか否かを考えることである。さもなければリスクを冒すわけにはいかない。これは既存の事業において長期計画や資源配分を検討する際の問題意識とは異なる。後者はリスクを最小にしようとし、前者は成果を最大にしようとする。P47
われわれは成果を最大にすることを目指さなければいけない。
したがって、技術的なイノベーションが活発、急速、かつ重要な時代においては、中小企業が生まれ育ちやすくなっていることが致命的に重要である。すなわち、彼らが資金を手に入れやすくなっていなければならない。P52
技術的なイノベーションにとって、大企業より中小企業が活躍しやすい。だから、資金的な援助の仕組みを作る必要がある。
間接的な保護ではなく、直接的な補助金政策が必要である。間接的制度的な保護はあらゆるものを歪める。補助金は少なくともオープンである。P54
なるほど。しかし、バラマキは問題だろう。オープンで議論になっているのは確かだ。
しかし、イノベーションの時代にあっては、技術進歩と経済発展の道を捨てることは、古いものの維持ではなく、古いものの腐食を意味することになる。P59
立ち止まることが後退になるということか。
経済圏とは、同一の需要構造と定義することも、同一の情報圏と定義することもできる。同一の情報圏にあっては、目標と資源配分に関わる意思決定は、その情報圏全体を対象に行われる。そこでは市場は一つとなる。こうして情報爆発が全世界を一つの経済圏とする。P67
確かに資本主義(自由主義)を取る国では一つの情報圏に組み込まれている。
そもそも援助は、機会ではなく問題に注ぎ込まれる。成果の大きなところではなく、必要の大きなところへ向けられる。したがって依存を生み出す。少なくとも依存を続けさせる。外国援助でも国内援助でも同じである。P106
社会福祉家の活動自体が貧窮そのものを生み出していると言う。そうなると、手当の停止とは処罰になってしまう。
経済発展は万能薬ではない。むしろ危険でありうる。経済発展とは成長であり、成長とは秩序あるものではない。経済発展は変化をもたらす。そして社会や文化における変化は混乱を意味する。P121
ただし、経済発展のないと危険はさらに大きいとも言う。つまり、混乱が起こることを前提にするしかない。
したがって、経済発展の経済学においては、利益とは不確実性のコストである。余剰ではない。実に利益なるものは存在しないと言うことが公理となる。存在しうる利益は、独占の結果としての利益だけになる。もちろんそのような利益は、利益ではなく搾取である。P135
ここでも利益を目標とすることが、理論的でないことを証明するがごとしだ。
しかも今日、皮肉なことに、政府はあまりにも多くのことをあまりに行いすぎて問題を起こしている。もはや政府は、本当に意味ある存在でありつづけるためには、他の組織に対し仕事を委譲していかなければならなくなっている。P171
これは、現代においてなお警句のままのようだ。
かつての多元社会にあっては、互いの位置関係と前例が重要な意味をもっていた。今日の多元社会ではそれらは意味がない。P173
他の組織について知り得ることは僅かだ。
今日の組織は機会の源泉でもある。P183
知識を使う仕事にとって、組織が重要な存在となる。組織の中で、成果を上げていこう。
意思決定を行い行動するのはあくまでも個人である。P183
組織の中にいると結論がどこか安定した何かから出てくるように思ってしまう。決定は、個人がしている。
組織の機能には三つの側面がある。
第一にそれぞれの組織の目的を明らかにし、
第二にその目的を果たすためにマネジメントし、
第三にそこに働く人たちを生かすことである。
P186
実践すべき側面であり、自己評価すべき項目でもある。
組織はそれ自身のために存在するのではない。それは手段である。P186
外部を見よ。外部に貢献がなされているか。目的は内部にはない。
それどころか、自らの事業は何かとの問いに決定的な答えはない。いかなる答えも直ちに陳腐化する。P188
つづけること。何度も何度も繰り返すこと。
いかなる組織といえども一時に多くの仕事には取り組めない。組織構造やコミュニケーションの工夫ではどうにもならない。組織では集中力が鍵である。P189
選択と集中というはやり言葉は、確かに重要なんだ。
組織とは法律上の擬制である。組織そのものは、計画できず、決定できず、行動できない。計画し決定し行動するのは、組織に働く一人ひとりの人間、組織の仕事ぶりと成果に影響を与える大勢の人たちである。P199
「人」である。
存在するのは責任と権限である。責任には必ず権限が伴う。逆に言えば権限のあるところに責任がある。P202
まったくだ。
したがって問題は、何が組織の社会的責任かではなく、何が組織の正しい権限かである。自らの機能のゆえにいかなる影響を社会に与えるかである。P202
自らの影響から顧みるとなすべきことが見えてくるのだろうか。
これまでこの責任を全うしようとして失敗したり傷ついたりした組織はない。逆に、消費者がそのさせてくれない。業界が許してくれないなどと尻込みした組織は、やがて高い代価を払わされる。世論は目の見えないことは許す。だが、知っていながら行動しないことは許さない。それを臆病とする。P206
私が所属企業でやってきたことはまさにこれだ。そして、高い代償を払うことになった。臆病であることに気づいていなかった。
組織は、組織の外の人たちを満足させ、組織の外の目的のために働き、組織の外で成果をあげる。組織がそこに働く者のためにできることは、組織自体の機能と、彼ら働く者の目的、価値、ニーズを調和させることである。P214
成果は外にある。それを忘れてはいけない。
政府への幻滅の原因は何か。われわれが求めたのは奇跡だった。奇跡を求めれば得られるものは幻滅である。たとえ無意識であっても、われわれは政府が無料でサービスしてくれると信じた。そのための費用は誰かが負担してくれると思った。P219
FREEという言葉がキーワードになっている。しかし、本来的にFREEなものなど無いと思う。
政府がイノベーションに不向きであることは、保護的維持機関としての正当かつ不可欠の機能からして仕方のないことである。P233
なるほど。幻想を捨て、どう運営することで成果を得られるのかを考えるしかないのだろう。
企業は利益を上げることができるからして、損失のリスクを負う。このリスクが企業の強みにつながる。あらゆる組織の中で企業だけが業績の試練を受ける。利益が企業の評価基準となる。P245
利益を上げられなくなった企業は、社会から必要とされなくなったと考えることだ。社会から必要とされる企業かどうか、簡単に評価できるというわけだ。
企業では成果とコストの関係を見ることができる。企業は思想や感情とは関係なくマネジメントできる唯一の組織である。企業では複数の価値でなく一つの価値によってマネジメントできる。P246
企業のマネジメントはある意味単純だということかもしれない。
確かに組織社会は一人ひとりの人間に対し、自らのことを自ら決定することを求める。P253
チームに求めることも同様だ。個人が自律していないことには、機能し得ない。
知識にとっての機会は主として組織にある。P283
知識は既に個人の中だけで利用されるものではない。組織にこそ、知識労働者にとっての機会がある。
この知識労働者としての自負と現実との格差は今後さらに大きくなる。その結果、知識社会においては、知識労働者をいかにマネジメントするかが最大の問題となる。P286
知識労働者は肉体労働者とは違うという自負をもっているものの、現実に自分が行っている仕事が、どれほど違うかがわからない。いや、自分の能力は活かされていないと感じているのではないだろうか。
知識社会と知識経済へのこの移行はいかにして生じたか。通常の答えは、仕事が複雑化し高度化したから、である。しかし正しい答えは、労働寿命が伸びたから、である。P286
違った視点から見ている。知識労働は供給が増大している。需要ではないという。
社会がどれだけの富を生むかは一人ひとりの人間の生産性だけで決まるものではない。一人の人間がどれだけの人間を扶養しなければならないかによって決まる。P289
高齢化社会は必然的に社会的な被扶養者の数が増えるわけだ。
知識労働者については、凄い仕事に対しては凄い報酬でなければならない。知識労働者がもとめるものは肉体労働者よりもはるかに大きい。異質でさえある。P295
知識労働者の動機づけには、自らの貢献とそれによる成果が明確でなければならない。
知識労働は一流を目指さなければならない。無難では役に立たない。このことがマネジメント上重大な意味をもつとともに、知識労働者自身にとって重大な意味をもつ。P297
有能だけでは満たされない。卓越する。卓越を目指しているか?
知識労働者自身も自らの考えを変えなければならない。45歳でやり直すことは恥ずかしいことではない。P304
ドラッカーは45歳程度で仕事自体への興味を失い、倦怠感に見舞われるという。だから、転職せよと。俺が、転職を考えた時だ。ところが、まだ、変わっていない。
学ばなければならない重要なことは特定の科目ではない。いかにして学ぶかである。P319
これは特に感じる。学校で学んだことで本当に役に立ったのはせいぜい四則演算や読み書きではないか。
ただし、学ぶ姿勢や自分の学習方法については、学生時代に掴んでおかないと苦労することになる。
教育は、普通の人間であっても優れた仕事ができるようにするための方法が開発されていない唯一の職業である。教育の世界では、生まれつきの教師に頼ったままである。しかも彼らの秘訣がわかっていない。タブーもわかっていない。P340
教育現場の変わらないスタイルには驚かされる。教科書・ノート・黒板。最近は電子機器も増えたとはいえ、あくまでもアナログがデジタルになっただけ。教え方の根本を変えることになっていない。事件が起こるととたんに教師に完璧な人格者を求める。
ゲーテは、人格は混乱のもとに形成されるといった。P381
みんなが同種のものに依存している状態はいけないと言う。情報が、混乱している状態で、自らの判断が必要であるから人格へつながっていく。
人と違ったことをしたくないという風潮は危険なのかもしれない。