居酒屋で経営知識

37.営業とマーケティング

【主な登場人物】
ジン(北野):主人公 サラリーマンの傍ら経営コンサルタントをしている
黒沢:居酒屋みやびの大将 酒と和食へのこだわりが強み
由美:居酒屋みやびの元 看板娘 黒沢の姪
雄二(鳶野):ジンの幼なじみ ジンの応援で起業を目指している
大森:みやびの常連 地元商店街の役員
近藤:みやびの常連 建設会社顧問
亜海:居酒屋みやびの新しいアルバイト
原島:ジンの高校の大先輩。新社長としてジンにアドバイスを求めている。

「いやー、参った、参った」

 噴き出す汗をおしぼりで拭いながら雄二がカウンターにドカッと座った。

「雄二。お前のような大男にノソノソ歩かれると店の客がいやがるぞ」

「何を言いやがる。店のために営業スマイルを振りまいてるんだぞ。自分の仕事でいい加減に営業嫌いになっているのに、だ。大将も感謝してるんだろ」

「ハイハイ。鳶野さんは身体に似合わず笑顔が可愛いですから、看板になりますよ」

「まあ、図体だけは看板だな」

「ジン。今日はやけに絡むな。由美にでも嫌われたか?」

「あ、今日はお前とは飲まん」

「全く冗談の通じない奴だ。ま、お前たちが仲良くないとここへ来づらいから頼むぞ」

「頼むぞって、訳のわからんことを。イライラしているのはお前の方だろ、雄二」

「営業マンをおけない中小企業の悲哀だよ。社長ったって、営業がすべてだからたまらんぞ」

「この前は、うちの技術は差別化の固まりだから営業なんて必要ないなんて言ってなかったっけ?」

「お前もコンサルなんて言ってるくせに、営業の重要さを見くびってるな。どんなに技術が勝ってたって、それを顧客に知って貰わなかったら売れるわけはないだろ。営業せずに売れる理論でも教えろって言いたいよ」

「営業せずに売れる、か。あるさ」

「なに?それを先に言えって。で、どうするんだ」

「営業せずに売れるって言ったって、それは楽に売れるって言う訳じゃないさ。例えば、大田区の熱処理の企業は、現代の名工や高度な技能資格者をそろえているが、創業の時から営業担当者は置いていないんだ。それでも、難しい熱処理はあそこだ、と全国から注文が来るというんだ」

「さすがにそんな高度な技術者をそろえるのは無理だろう。特別な会社だよ」

「そうだろうか。そこの社長も、熱処理は国宝級の技能者がいればいいわけではない。チームワークで行うため、一人ひとりの技能や年齢のバランスも重要だといっている。たぶん、強みに特化した雇用や教育を続けているから、名声だけじゃなく、取引先から強い信頼を受けている結果だと思う」

「うーん。資格だけじゃないってことか。確かに、名工一人だけじゃ作れる数は知れているし、他の職人では品質が落ちるって言うなら信頼感は薄いな。技能の継承をチームプレーとして行っているとも言えるということかもしれないな」

「芸術品を作っている訳じゃないから、いいものだけじゃなく、品質・コスト・納品のタイミングや求める量への対応などのバランスに信頼がなければ長期にわたって取引を続けることはできない。そして、その信頼が作れれば、営業専属の担当者を置かなくても、いろいろなネットワークから口コミなどで伝わっていくんだ」

「それでも待ってるだけじゃ難しいんじゃないか?」

「いや、別に待つということじゃなくて、そこまでがマーケティングなんだよ。つまり、顧客の求める品質・コスト・納期や注文方法、取引条件も含めた分析を行って、応えていくことで自らの作り方やチーム編成、果ては雇用方針を決めていくんだ。当然、顧客とのやり取りの中で作り上げていくから、その過程自体が信頼を作り上げていく過程になる。その繰り返しがマーケティングで、マーケティングとは販売をなくすことだ、という究極の理論に行き着くんだ」

「ん?マーケティングとは販売をなくすことであるって言うのは、前に聞いたことがあるな」

「ドラッカーが言っている言葉だよ。『マーケティングの理想は販売を不要にすることである』という言葉は、自分の技術やサービスを押し売りするのではなく、顧客を理解することから始まることに尽きるんだ」

「顧客のところへ出かけていくことは同じだけど、売りに行くんじゃなく、買いたいものを聞きに行く御用聞きをしろということでいいのか」

「そうだな。きっとこの企業も取引先の要求に応えることで技術力をアップしていったんじゃないかと思うんだ。技術力が先にあったんじゃなくてね」

「何となくわかった気がする。相手が求めていないものを売り込もうとするから疲れるわけだ。欲しいものを持っていけば相手も乗ってくるし、やり取りが始まるな。じゃ、もう一杯飲むか」

「もちろん雄二のおごりだな」

「やむを得ん」

(続く)


《1Point》
 今回も中小企業白書の事例を参考にしました。
 
 白書では事例の背景まで触れていないので、想像が入っています。
 
 タイトルの営業とはここでは販売を言っていますね。本来の営業とはまさにマーケティングを自ら行う行為を言うと思います。
 
「何らかの販売は必要である。しかし、マーケティングの理想は販売を不要にすることである。マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、顧客に製品とサービスを合わせ、自ら売れるようにすることである」(P・ドラッカー「マネジメント(上)」ドラッカー名著集 P78 上田惇生訳 ダイヤモンド社)
 
 
【事例:創業以来、営業担当者を置かず、高度な技術により、全国から注文を受ける企業】
 (出典:2010年版中小企業白書 事例2-1-2)P93
 
東京都大田区の株式会社○○熱処理工業所(従業員45名、資本金1,000万円)は、高速度工具鋼製の切削工具やプレス金型等の人手がかかり高度な技術や技能を必要とする特注の熱処理を得意とする企業である。

同社は、高度な技能者集団を有しており、従業員のうち2人が「黄綬褒章」を受章した「現代の名工」であるほか、8 人が「特級熱処理技能士」の資格を保有し、従業員の大半が1 級又は2 級の技能士である。また、熟練工2 人が「東京マイスター(東京都優秀技能者)」に認定されている。

同社は、創業以来、営業担当者を置いていないが、その高い技術力を活かして、「難しい熱処理は上島に頼め。」と、全国から注文を受けるようになった。

同社の■■社長は「国宝級の技能と言われているが、その人に偏った技能ではない。熱処理はチームワークで行うため、一人一人の技能が重要となり、年齢のバランスも重要となる。」と語る。

最近では、大学を卒業した技術者や大企業で定年退職した技術者も増加しており、高度な技術相談にも対応できる体制を整えている。

また、社員には技能の習得のみならず、社内外の講習会に参加させることにより理論を習得させており、幅広い人材確保と多様な人材育成により、高度な技能を次世代に引き継いでいこうとしている。

(*念のため、企業名と個人名は伏せました。また、改行等追加しています)

(36)雇用