ドラッカー入門

(10)ドラッカー入門
 まさしく入門書です。ドラッカーに興味を持てるかどうか判らない人はまずこれから読んでみましょう。
 はじめに-ドラッカーとは何者か
 第1章:人が幸せであるためには何が必要か(ドラッカーの問題意識)
 第2章:転換期のクライマックスはこれからだ(ドラッカーの時代認識)
 第3章:論理ですべてがわかるとしてはならない(社会生態学者ドラッカー)
 第4章:万人のための帝王学を求めて(マネジメントの父ドラッカー)
 第5章:何をもって憶えられたいか(セルフマネジメントの方法論)
 第6章:世界のモデルとなりうるか(ドラッカーが恋した日本)
 おわりに-ドラッカーとの出会い
ドラッカーの言葉該当ページと独り言
人の集まりが単なる群衆ではなく社会として機能するには、そこにいる一人ひとりの人に位置づけがなければならない。位置づけのない人の集まりは群衆にすぎない。同時に、その一人ひとりに役割がなければならない。役割のない人の集まりは烏合の衆にすぎない。P9
企業の中で自分に居場所がないと感じたとき、曖昧な位置づけであり、責任を伴う役割が無いことに気づいた。
仕事だけでは悲しいし、いるだけでは困る。P9
いるだけで意味があると思っている人もいる。
ドラッカーはNPOにも期待した。政府や企業にできないことをしてくれる存在というだけでなく、コミュニティ、すなわち人の絆、市民性の回復と創造の担い手としてのNPOに期待した。期待するだけでなく自らも行動した。P19
日本のNPOが低迷してる。それは、ミッションとビジョンの曖昧さに起因している可能性は高いと感じる。
財とサービスという「物の豊かさ」は、組織の運営の仕方次第によることになった。加えて、あらゆる人が組織の中で、あるいは少なくとも組織を通じて働くようになった。社会の一員としての自己実現という「心の豊かさ」も、組織の運営の仕方如何によることになった。
その運営の仕方がマネジメントだった。
P21
人は組織を離れて成果を上げることは難しくなっているのかもしれない。いや、組織を通してあげるべき成果が必要とされているのだろう。
ドラッカーは、ちょうどダーウィンと同じ頃、同じ進化論を唱えたアルフレッド・ラッセル・ウォレスの、「あらゆる動物の中で人間だけが意識して進化する。すなわち道具をつくる」という言葉をよく口にする。P26
人類の歴史はものづくりの技によって変わってきたと言っている。
彼はこの断絶の時代を、グローバル化の時代、多元化の時代、知識化の時代、起業家の時代と捉えた。世界で初めて、今日まさにその渦中にある大転換期への突入の様相と、その本質を明らかにしたのが、この本だった。P28
断絶の時代」は、今も続いているという。
あらゆる先進国で、労働組合は自らの新しい役割を模索している。ドラッカーは、それはおそらくオンブズマンの役割に近いものではないかという。つまり、日々の問題を解決することである。P33
労働組合の存在価値は非常に低下している。コミュニティとしての存在に徹すべきかもしれないと感ずる。
しかし、ここに1つ重大な問題が残る。知識社会への流れから取り残される人たちの存在である。全員が知識労働者になるわけではないからだ。雇用機会や所得については、さほど心配はいらない。人手不足が心配なくらいである。だが、彼らの尊厳、生きがい、社会的な位置づけの問題が残る。P33
現代においては、特に厳しくなっている。雇用機会が減っているというのは、知識労働への需要が熟していないからかもしれない。
ITで重要なのは、I(情報)であってT(技術)ではない。P36
未だに技術の競争にしかなっていない。これからなのだろうか。
ドラッカーは、短期のマクロ経済政策にできることといえば、インフレによって富の生産能力と国民生活を破壊することぐらいだという。P38
経済政策が功を奏したという実感はないのは確かだ。
ドラッカーは、起業はすべからく、小さく、シンプルに、しかしトップを目指してはじめるべしと説く。おまけに予期せぬ客が来たら、それが本当の客だという。何事であれ事前の評価は難しい。P42
事前にどんなに詳細にシミュレーションしてみても、予期せぬことが本物だという。でも、確かにそうかもしれないと思わされる。
マネジメントとは万人のための帝王学である。P48
マネジメントとは、特別な人だけの役割ではないということだろう。
そして、ドラッカーは重要なことをさらりと教える。ボランティアは三つのことを求めている。第一に訓練、第二に責任、そして驚くべきことに、第三に昇進だという。P50
昇進とは、認められたことの証左ということかもしれない。
ドラッカー財団セルフアセスメント・ツールは、ミッションは何か、顧客は誰か、彼らは何を価値ありとするか、我々は何を成果とするか、では何をするかという、その名も「五つの質問」というマネジメント手法である。P52
2009年に出版された「経営者に贈る5つの質問」がまさにこれと同じ質問だ。
「雇用関係にない人たちをいかにマネジメントするかが、企業だけでなくあらゆる種類の組織にとって中心的な課題となる」P57
これは、単に非営利組織が増えるだけでなく、少子高齢化という流れがもたらすものだという。
数字を重視しないのは、数字になったときには過去のもの、意味のないものになっているからにすぎない。P66
数値化すること自体を否定していたわけではないと思う。ただ、過去に引きずられることを問題視したのだろう。
論理とは抽象である。抽象とは捨象である。しかし、この世に捨象してよいものなどない。P69
ビクッとした。論理的であることが正しいことのように思いがちだ。しかし、全体を見ることを忘れる行動なのかもしれない。
理想はベストを求めても、現実にはベターを求める。すなわち、それは未来志向、実証志向、問題解決志向である。P70
それが、少しでもよい明日を創造するために必要なことなのだろう。
組織について大事なことはただ一つ、構造は戦略に従うということだけである。P71
アンゾフの、ではなくチャンドラーの原則的な考えこそ、ドラッカーの基本ですね。
重要なことは、構造を平板にする、透明にする、直接の上司は一人にするという、いくつかの原則である。P71
どんな組織の構造にも、長所と短所があるからそれを知っておけばよいという。が、原則はシンプルである。
ドラッカーは「我思う。ゆえに我あり」と同時に、「我見る。ゆえに我あり」といえなければならないという。P73
右脳も左脳もバランスよく使うことが重要なのだ。
ドラッカーの考えでは、未来についていえることは二つしかない。第一に、未来はわからない。第二に、未来は現在とは違う。P75
すべてのスタートかもしれない。今日の事業は、明日には廃棄しなければいけないかもしれない。それが、変化をとらえることだ。
「明日というものは、平凡な仕事をしている無名の人たちによって今日作られる。この企業の社長、あの企業のマーケティング部長、あちらの企業の研修部長、向こうの企業の監査役によってつくられる」P77
一人ひとりが自分の未来をつくること。それも、今日。
同じ事物であっても、人によって見え方は異なる。見え方が異なるということは、人それぞれに現実が異なることを意味する。そもそも現実とは、ありのままの事実ではなく、個々人の経験、価値観、嗜好によって意味づけられた主観の産物である。P78
だから、意見の対立が必要だという。みんなの見え方が違っているからこそ、全体に近づく。安易な全会一致は最悪の決断だ。
誰もが一つの現実しか見ていないということは、見られることのない多くの事実が存在することを意味する。P80
全会一致は異常だという。我が社では、すぐに全会一致になる・・・
そもそも反対できない提案はフェアとはいえない。反論できないロジックを使うのはアンフェアであり、発展の可能性を著しく低下させる。P81
徹底して相反する意見の衝突を必要であると説いている。ここが、日本的経営の不得意な部分かもしれない。
なぜ「ある」のかと問う以上に、なぜ「ない」のかと問うことが重要である。人は、「ある」ものには注意を向けるが、「ない」ものには注意を向けることがほとんどない。P86
その例として暗黙知の重要性をあげている。
何が起こりそうかを考えて行動してはならない。すでにわかったこと、すなわち起こったことをもとに行動せよという。そのわかったことに自らの強みをあわせよという。ということは、トレンドを使えということでもある。P88
これは肝に銘じたい。マーケティングも意味がある。未来予測で決断をしてはいけない。
社会が機能するには、一人ひとりの人に位置と役割があり、かつそこに存在する権力に正当性がなければならない。しかも、よりより社会への改革の道は、現実に立脚した正当保守主義の原理によらなければならない。P99
実感する。本当にだ。位置と役割が奪われたものの実感だ。
「企業と社会はいろいろに定義できる。法的に見れば、企業とは国が社会のために法的な存在と法的な権利を与えた存在である。政治的に見れば、社会の要求を満たすべき組織の一つである。経済的に見れば、生産のための資源の集合体である。いずれにせよ、企業とは社会のための道具であり、社会のための組織である」P100
自分が衝撃を受けた「企業とは何か」で出会った言葉だった。この言葉で、救われた。
マネジメントの7つの間違い
第一に、マネジメントはもっぱら企業のためのものであるとすることである。第二に、組織には唯一の正しい構造があるとすることである。第三に、人のマネジメントにも唯一の正しい方法があるとすることである。第四に、技術と産業は一体であるとすることである。
第五に、マネジメントの範囲は資本関係によって規定されるとすることであり、第六に、マネジメントの範囲は国境で制約されるとすることである。そして第七に、マネジメントの世界は組織の内部にあるとすることである。
P105
間違いである。
ライオンが檻から出れば、その責任は買い主にある。ローマの法律家は、これを野獣の原則と名づけた。世の中への影響は、原因のいかんを問わず、その影響をもたらした者の責任である。P107
これが社会的責任である。
資本主義は人間性を担保していない。にもかかわらず人間性を前提としている。P112
言い方を変えて、資本主義は正当性を確保しなければいけないという。
同じことは、産業社会とコミュニティとの関係についてもいえる。産業社会はコミュニティ性を担保していない。P112
だから、コミュニティ性を自ら獲得しないと機能しなくなってしまう。
さらに加えるならば、金を懐に入れながらレイオフを行うことを自らに許さないという矜持を必要とする。P114
今の時代に言っているのかと思った。2008年リーマンショック時のアメリカの金融機関の対応がまさしくそれだった。
顧客を創ることをマーケティングという。したがって、マーケティングとは販売活動の総称ではない。販売活動を不要にすることがマーケティングの理想である。P118
これがすごいと思う。
誰も聞いていない会議は開かない。余分な報告書は書かせない。これが基本である。P127
当たり前だと言いたくなるが、現実には会議と報告書のために本来の目的を果たすことができない。
そのためには、
第一に、全員に事業上のパートナーとしての責任を持たせる、
第二に、継続して学ばせる、
第三に、それぞれの仕事の秘訣を同僚仲間に教えさせることである。
P128
生産性を志向する組織風土をつくるための方法だ。仕組みは風土までになって初めて成果を上げる。社風は作り上げるものでもある。
組織が人あってのものであることを忘れ、コミュニティ性を失い、人を育てず、コスト・オンリーの視点から仕事を外に出すならば、欲に目の眩んだ経営としかいいようがない。P128
アウトーソーシングはパートナー作りだ。コストだけで外に出すのは愚の骨頂だ。そして、多くの企業がそういう対応をしている。
「プロフェッショナル・マネージャーの行動原理」
彼はそこで、経営者たるもの、会社のためを考えよといった。株主のためでもなく、従業員のためでもなく、社長や役員のためでもないと書いた。社会の公器としての会社のためを考えよといった。
P132
会社は誰ものものか、という命題の答えでもあると思う。
ドラッカーはこれに加え、企業には仕事のプロとしての倫理があるという。すなわち、「知りながら害をなすな」である。P132
ヒポクラテスの誓い
食品偽装も、賞味期限改ざんも、そして談合もすべてこの言葉で否定される。信頼ができないものはプロではない。
リーダーシップとは人を惹きつけることでさえない。それだけでは扇動者にすぎない。友達になって影響を与えることでもない。それでは人気とりにすぎない。P134
リーダーシップを誤解している人が多い。カリスマは避けるべきかもしれない。
組織のリーダー、すなわちトップマネジメントの最大の役割は、組織としての個の確立である。P139
自律した組織であらねばならない。
創業とは事業を創ることである。当然、主役は顧客である。したがって、創業のための第一の原則は、市場に焦点を合わせることである。P143
そして、ターゲットとして絞り込んだ顧客でない客が来たとき、それが本当の顧客かもしれないなどという。
あらゆる組織にとって、存在の理由、事業の目的は世のため人のためである。いま風にいえば、社会のためである。P149
真摯に受け入れられますか。世のため、人のためを考えていますか。
中小企業も、社長がいかに仕事ができたとしても、社員ができなければ将来は知れている。しかも、組織で働く普通の人たちにとっても、仕事ができるとできないとでは働きがいが違い、生きがいが違ってくる。P154
強みを持った人を育て、その強みをもって仕事とする。
仕事をする能力を身につける。
もちろんその第一が、誰もが持っている資源、あまりに無駄遣いが一般化している時間の使い方である。これが下手であっては成果はあげられない。
第二が、貢献に焦点を合わせることである。あげるべき成果からスタートしなければならない。
第三が、強みのうえに築くことである。強みを基盤とし、弱みを基盤としてはならない。
第四が、集中することである。何に集中するかを決めることである。一番重要なことを行わなければならない。二番目に行うべきことを行ってはならない。ここがドラッカーのすごいところである。一番重要なことが終わったら、そこで改めて一番重要なことは何かを考える。二番目に重要だったことを自動的に繰り上げてはならない。
第五が、成果をあげるよう意志決定を行うことである。
P156
これは、そのまま覚えるべき、行動すべきことである。
ところがドラッカーは、自らの強みを知るための、さらに簡単な方法をもう一つ教える。それは人に聞くことである。P163
確かにそうかもしれない。自分で考えていても、自分の強みはわからない。
選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかを問うことを求める。P164
自分を使って・・・飛び込んで自ら動くこと。
ドラッカーにいわせれば、明治維新とは日本の西洋化ではなかった。西洋の日本化だった。P179
それが日本の成功に繋がったという。
いかなる国といえども自らの文化を変えることはできない。文化を重んじたとき、はじめて近代化が可能となる。P184
グローバル化を考えるとき、自らのアイデンティティを中心に据えることを忘れてはいけない。
すなわち、マネジメントとは、企業をはじめとする個々の組織の使命にとどまることなく、一人ひとりの人間、コミュニティ、社会に関わるものであり、一人ひとりの人間の位置づけ、役割、秩序にかかわあるものであるとの私の考えを明らかにしてくれました。P195
マネジメントとは広い。
確かに企業の目的は、顧客を創造し、富を創造し、雇用を創出することにあります。しかし、それらのことができるのは、企業そのものがコミュニティとなり、そこに働く一人ひとりの人間に働きがいと位置づけと役割を与え、経済的な存在であることを超えて社会的な存在となりえたときだけです。P195
企業が総合的に自律し、コミュニティとなる。それは夢のある目標だ。