居酒屋で経営知識

55.シーズとニーズ

(前回まで:商店街の集まりで取引先の倒産の話が出たという大将の話から、倒産の分類の話になりました。会社更生手続きと民事再生手続きがありました)

「倒産の話でしみったれてしまいましたねえ。気分を変えましょう」

 大将の言うとおりだ。

「はい、気分を変えて、サービスのお刺身ね」

 由美ちゃんが、お通しにマグロを切ってくれた。

「やっぱり、由美ちゃんの刺身は初めてだよね。へえー、綺麗に切ってあるね。うまそうだよ」
 
「ジンさん、そう言ってもらえるとホッとするわ。練習台でごめんなさいね」

「なんのなんの。ただでこんな刺身を食べさせてもらえるんだったら、大将のお墨付きが出ない方がいいな」

「ジンさん、それは勘弁してくださいよ。由美ッペには、すぐにでも免許皆伝といきたんですから。うん、思い切りよく切れてるようだね。及第点だ」

「よかった。次は、お金を取れるような技術とその分お客さんが来てくれるようなマーケティングをしないといけないのよね」

ね、と由美ちゃんがいたずらっぽく視線を送ってきた。

「もしかして、今すぐマーケティングをしろって言うんじゃないだろうね」

「ピンポーン。でも、さすがにジンさんにやってもらうわけにはいかないから、私に教えて欲しいの。いくら、お刺身を上手に切れてもお客さんが喜んでくれなきゃ意味が無いわよね。だって、おじさんがいれば、もっとおいしく、綺麗に出来るんだし、それ以上に、おじさんという『人』がこの店のコアだから」

 なんと、由美ちゃんは、これまで話してきた経営理論をきっちり呑み込んでいる。もしかすると、大きな変化の波が来ているかもしれない。そんなことを感じてしまった。

「由美ちゃん。参った。技術だけでは人を幸せに出来ないということを覚えていたんだね。企業でも、自社の技術にこだわりすぎて、顧客を忘れているところが結構あるからね。経営が苦しくなってくると、どんどん自分の過去の成功体験や研究所にこもってしまうことが目立ってくるんだ。行き詰まったら、顧客に聞けということを忘れてはいけない」

「そうね。私がどんなに上手に刺身が切れても、お客さんが刺身を食べたくなかったら意味がないものね」

 さすがに大将が口を挟んできた。
 
「由美ッペ。刺身が切れるというのは、お客さんへ向き合うためには最低限の条件だぞ。技術がなければ、お客さんの要望がわかっても、喜んでもらえるものが出せない」

「さすがは経営者。大将の言うとおりだね。自分が言っているのは、技術的には成功を納めた企業を例にしているからね。もう一度、基本に戻って考えようか」

「ジン先生、よろしくお願いします」

「みやびにとって、強みとなる経営資源は間違いなく大将と由美ちゃんという人にあるよね。大将の人柄はもちろん、日本酒に対する姿勢、料理人としての腕がコアコンピタンスと言える。そして、由美ちゃんもこれまで看板娘としてプロモーションの領域を支えてきたというのが、一顧客としての分析だ」

「ちょっと、ジンさんほめ過ぎかもしれないけど、ある意味それしかないかな」

「由美ッペは、これまで看板娘だったけど、料理人としても成長してもらわなけりゃいけないですね」

「そう言う意味でいえば、成長途上ですね。ここまでは、シーズの世界です。確かに、これまで実績を積んできた強みですから、既存のやり方で続けていけば問題ないかもしれませんが、企業経営にとっては一番難しい時期だと言えます」

「変わらなければいけないと言うことですか」

「経済状況などを考えなくても、例えば、この店にやってくるお客さんは開店当初から同じではないですよね」

「もちろん、随分変わっています。やっと、ジンさん達のような常連が増えましたけど、逆に、最初の頃来ていた人たちが、ほとんど来なくなりましたし、最近では、飲食店の検索サイトやインターネットの情報で若い人が単発で来るようになりましたから」

「外部環境がどんどん変わっているということです。昨日捉えたニーズは明日の顧客のニーズではないということから目をそらさないことが重要ですね」

(続く)

《1Point》
シーズとニーズ

 シーズとは、種(seeds)から来ていますが、経営においては文字通りの製品を生み出す種、もしくは「製品開発などで、研究上の必要から生み出されるもの。消費者側の要求であるニーズに対していう。(JapanKnowledge日本国語大辞典)」ということになります。
 一般的には、自分たちが強みだと思っている技術・サービスと考えていいと思います。
 
 ニーズとは、言うまでもなく「欲求」ですね。経営においては、顧客が直接求めるものを「ウォンツ」とし、その背後にある広い欲求を「ニーズ」として区別します。
 例えば、コーラを飲みたいという「ウォンツ」の背後にあるのが、喉が渇くという「ニーズ」であれば、ニーズを満たすには、「喉の渇きをいやすもの」であれば、多くの選択肢が考えられます。

(54)更生手続き