居酒屋で経営知識

85.コーチング

【主な登場人物】
ジン(北野):主人公 サラリーマンの傍ら経営コンサルタントをしている
黒沢:居酒屋みやびの大将 酒と和食へのこだわりが強み
由美:居酒屋みやびの元看板娘 黒沢の姪
雄二(鳶野):ジンの幼なじみ ジンの応援で起業した
大森:みやびの常連 地元商店街の役員
近藤:みやびの常連 建設会社顧問
亜海:居酒屋みやびの新しいアルバイト
原島:ジンの高校の大先輩。新社長としてジンにアドバイスを求めている。
新田:大森さんの紹介で知的資産経営を指導している。行政書士

「へい、いらっしゃい。毎度」

 まだ夏の日差しがやってきていない梅雨の中休み。

「雨は嫌ですが、夜は過ごしやすくていいですね」

「今年はどうなるんですかねえ。昨年みたいに、必死に節電して暑い夏を過ごすんでしょうか」

「酷暑になるという予想はあるけど、今のままじゃ冷夏になるんじゃ無いかって思いますね。夏は暑くないと夏の商売あがったりですから、普通になるのがいいんじゃ無いかと思いますよ」

「全くその通りですね。普通が一番」

「じゃ、大将、普通の夏に向けてかんぱい!」

 生ビールを半分ほど呷って一息ついた。

「いらっしゃい。鳶野さん、毎度」

 雄二がやってきた。

「大将、俺も生。湿度は高いけど、まだ夜が寝やすくていいね」

「鳶野さん。ジンさんとも今話していたところなんですよ。普通になるのが一番だってね」

「普通ねえ。最近、いっつも異常気象と言いやがるから、普通ってどうだったのかわかりゃしないよ」

「そう吐き捨てるように言うなよ。もう7月だ。プール開きや海開きで賑わう風景が似合っているよ」

「まあ、そうだな。ま、何にしても乾杯」

 みやびのお通しをつまみながら一気に2杯を空けた。

「そういえばジン。コーチングの勉強をしているそうだって由美から聞いたぞ」

「早いなあ。コーチングを勉強しているんじゃなくて、まずはコーチングを受けているんだ。まあ、コーチング自体に興味があって、まずは自分で受けてみようって思ったんだ」

「経営者仲間では良く話題に上るんだ。偉いコーチだととてつもない金を取るらしいじゃないか。うさんくさい気もするが」

「まあ、世の中いろんな人がいるから、似非コーチもいるかもしれないなあ」

「コーチって言っても、ピンとこないんだけどな。俺たちのように体育会で生きてきた人間にとって、コーチって言えば、手慣れたOBあたりが手伝ってくれるイメージだけど」

「昔の体育会だと、監督とかヘッドコーチがいて、その練習メニューに従って、各ユニット毎にコーチが指導するという形だったようだ。でも、今のスポーツチームは随分変わっている」

「手取り足取りってことか?」

「とにかく選手一人ひとりと話をして、チームの方針を理解させ、それに向けた各自の強化するべき強みを明らかにするらしい。そして、スケジュールまで立てて、自分でチャレンジするようにサポートするというのが基本だと聞いた」

「各自の強みを引き出す、か。それがビジネスコーチングでも同じ話なら、何となく経営戦略の策定を個別にやっているような気がするな」

「今のところちょっと違うような感じだな。俺の受けているコーチングでは、とにかく質問されるんだ。それも、現状分析を全くしない。とにかく、どうありたいかとか、すべての障害が無いとしたら何をしているかをイメージしてみるというような繰り返しが中心なんだ」

「まずは、自分の強みを見つけ出し、それを活かせる現状や未来を組み合わせるというお決まりのストーリーとは違うのか」

「違うようだ。いろいろな角度から質問することで、普段考えていないテーマや視点を気づかせるというところもあるけれど、論理的に構築するという感じでは無いな」

「なかなか理解しづらいな」

「まずは、夢を描かせることで、本当の自分を引き出すような気がする。具体的にどうなっているかを聞かれると、想像の世界だけど次第にできるような気になってくる。そして、コーチはそれを誉めてくれるので、ますますその気になってくるという流れのようだな」

「夢ねえ。もちろんミッションというものを経営の柱にしているから、それを再確認するということかなあ」

「まあ、そうなんだろうが、そのミッションも見直せる気がする。本当に自分の目指したいことは何なのかを考えさせ、それを達成している自分をどんどん具体的にイメージすることで、現実とのギャップを乗り越える勇気とアイディアを得られるという点が優れているかもしれない。その気にさせるというのがコーチングの原理・原則だと感じているんだ」

「ジンにとっては、有効か?」

「大いに有効だな。分析では無く、思いからスタートしているから、すべてを新たな気持ちで見直すことができる」

「ジンが言うなら俺も考えてみるかな。うさんくさくない奴を紹介してくれるか?」

「うさんくさいかどうかはよくわからんが、俺の先生に聞いてみるよ」

「ところで、夏に向けて、シャキッとする酒は無いか?」

「それでは、生酒でもいきましょうか。きき酒セットで準備しますよ」

「大将、それはいい。是非是非」

 グラスを並べて、大七、真澄、新政、浦霞、司牡丹、大山・・・冷蔵庫から出した一升瓶から注いでいる姿が既に夏らしい。

「うん、今年の夏も旨い夏になりそうだなあ」

(続く)


《1Point》
コーチング

 コーチングを一言で説明しようとすると難しいですが、一般的には、「自らの内面を振り返り、本来ありたい姿や達成したい成果を実現することをサポートする」手法と言えるかもしれません。

 コーチング自体には、それぞれ手法があるようですが、基本は押しつけはなく、質問形式での対話で引き出すものです。

 内省と挑戦を促す役割を担うとも言えます。