居酒屋で経営知識

56.イノベーションの7つの機会(1):予期せぬ失敗・予期せぬ成功

(前回まで:みやびのマーケティングの話となりました。基本に戻り、顧客に焦点を合わせます。シーズよりも、顧客ニーズをスタートにしてみることが重要です)

「外部環境がどんどん変わっているということです。昨日捉えたニーズは明日の顧客のニーズではないということから目をそらさないことが重要ですね」

 みやびも開店当初からすると、客層は随分変わってきている。これまでは、割と順調に伸びてきているわけだけど、落ち着いてきている今が明日を考えるタイミングかもしれない。
 
「ジンさん。この間から由美ッペと結論が出ないのがそこなんですよ。常連さんも増えてきているので、変わらないという選択肢もありますよね。近藤さんや大森さんなんかだと、メニューの順番をちょっと変えただけで叱られますからね」

「そうそう。前に入り口を少しオープンにして、店の中の雰囲気が外からわかるようにしたじゃないですか。あの時は、大森さんなんて、落ち着かないって帰ろうとしてましたからね」

「そうだね。変わらないというのも一つの価値ではあると思うよ。ある程度商圏の狭いみやびのような店では、無理して変わる必要はないだろうね。でも、もう一度初心に返ってみましょう。みやびにとって、どんなお客さんに、どんなサービスをしたいと思って店を始めたんでしょう」

 大将が真顔になっている。

「一つは、若い人たちにいい和食を安く食べてもらって、見直してもらいたいと思ったね。そして、もう一つは、日本酒に対する偏見を無くして、がんばっている酒蔵のいい日本酒を応援したいというのがあったね」

「大将がいつも言っていることですね。とすると、この店を知らない人たちにもたくさん来てもらわないと目的に向かっているとは言えなくなってしまいますね」

「そうかー。経営が安定しても、おじさんの言う和食や日本酒の良さをたくさんの人に知ってもらうっていう目的は達成していないということになるねの」

「由美ちゃん、そう思うよね。大将がこの間言ったように、経営が安定すると言うことは、投資のチャンスだということだね。利益を投資するのは、食材や日本酒だけじゃなく、みやびにたくさんの若い人に来てもらうという目標にも向けなければいけないという考え方になっていいと思うな」

 大将がうれしそうな顔になった。

「そうですよね。何となくすっきりしました。でも、どうやって変わっていけばいいんでしょうか」

「外部環境の変化を捉えて自らが変わっていくということを、イノベーションという言葉で表しますが、これには7つの機会があると言ったのは、ピーター・ドラッカーでした。この考え方を使ってみましょう」

「ジンさん、正直言って、こんな小さな店で大層な経営理論はもったいないんじゃないですか。この間から、由美ッペがマーケティング、マーケティングっていうのを聞いているんですが、どうもカタカナ言葉は恐ろしくってねえ」

「大将、大企業も個人事業も基本はほとんど変わらないんですよ。まあ、カタカナ語が多いのは、日本語にうまく翻訳できないから仕方ないんですけどね。言ってることは結構単純なんですよ」

 由美ちゃんも他にお客さんを確認しながらしっかり近くに立っていた。
 
「アメリカで経営を勉強している沙知もドラッカーのことを書いてきていたわ。イノベーションって技術革新だけじゃないんだって言っていたけど、他の言葉に翻訳できないって」

「じゃあ、その7つの機会を確認して、みやびで考えてみようか」

 ドラッカーのイノベーションの7つの機会について、実際のコンサルタントで使ったことは無かった。でも、いけそうな気がしてきたんだ。

「まず、一番リスクが少なくて、効果的だと言っているのが、予期せぬ成功と失敗を利用する、ということだ。変化を捉えよという経営者は多いけど、失敗を機会だと本気で検討しているところは少ないと思うね。まして、予想外に成功したことをきちんと分析する企業はもっと少ない。成功したことで満足してしまうんだね」

「うーん。予期せぬ成功や失敗ねえ。例えば、どんなこと?」

「そうだね。みやびで言えば、喜ばれると思っていたメニューがそれほどでもなかったとか、思ってもみなかったことで感動したと感謝されたりとかいうことを拾い上げてみることも一つかもしれないね」

「ジンさん、そう言えば、いつだったか、徳利に吟醸酒が残っていることを忘れていたお客さんに、サービスで別の純米酒を入れてしまったことがあったんです。それを飲んだお客さんが無茶苦茶うまいって言うんで味見してみたんですけど、すごくサッパリしていて驚いたことがありました。あの時は、日本酒カクテルの話で盛り上がったんですが、あれなんか予期せぬ成功ですかね」

「大将、それですよ。もしかしたら、この店のイノベーションになるかもしれないという目でみてみたらどうでしょう。みやびにしかない日本酒カクテルなんて新しいお客さんを呼び込めるかもしれないし、もしかすると、日本酒自体の市場を変えるかもしれないですよね。気をつけていると、そんな機会は毎日起こっていることかもしれませんよ」

(続く)

《1Point》
イノベーションの7つの機会

 ピーター・ドラッカーがイノベーションを起こしていくには7つの機会があるとして提唱したものです。
 居酒屋のような小さな事業でもイノベーションは必要だということを検証する意味でも取りあげてみました。
 
第一が予期せぬことの生起である
第二がギャップの存在である
第三がニーズの存在である
第四が産業構造の変化である
第五が人口構造の変化である
第六が認識の変化、すなわちものの見方、感じ方、考え方の変化である
第七が新しい知識の出現である

 今回は、第一の機会として、リスクが小さく苦労の少ないイノベーションなのに、簡単に無視されてしまうという予期せぬこと(成功・失敗)を取りあげました。