居酒屋で経営知識

1.いざ、居酒屋へ

 俺、北野仁。

 30歳を越えたサラリーマンなのだが、営業先の経営者の相談に乗っているうちに、生半可な知識ではいけないと思い、中小企業診断士という資格を取った。

 独立していないということで、企業内診断士という名称で分類されるようだ。

 こんな俺の日々の一番の楽しみは、仕事を終え、「一人で」行きつけの居酒屋ののれんをくぐることだ。
 同僚には、おやじくさいと言われるが、仕事が終われば自分の時間なんだし、連れションみたいな飲み方は好きではないのだから仕方がない。

 行きつけの居酒屋というのは、「みやび」という店で、特に日本酒にこだわりを持っている黒沢さんという大将が経営している。
  まあ、「大将」としか呼んだことはないんだが。

・・・

 金曜日の最後の仕事は問題もなく終わった。

「へい、いらっしゃい。あ、毎度。ジンさん、お久しぶりですよねえ」

「ここんとこ、新しい仕事で忙しかったんですよ」

 今日は、早い時間のせいか、まだ、50歳くらいのサラリーマンが2人、焼酎を飲んでいるだけだった。

 だいたい、いつもの定位置、入り口側のカウンターに腰を下ろした。 「ジンさん。お久しぶり。生ね?」

 この店の看板娘の由美が顔を出した。
 
 由美は、大将の親戚で、大学進学のために上京してきたのだが、それからずっと「みやび」でアルバイトをしている。

 その大学も1年前に卒業した。
 ところが就職活動もうまくいかず、結局、この店で正式採用?されたようなものだ。
 
「なんか、お久しぶりばかり言われると責められてるみたいだなあ」

「ジンさん、すいませんねえ。由美っぺが、何かって言うと『最近ジンさん来ないわねえ』って言うもんでね」

「おじさん!そんなにしょっちゅうは言ってませんでした。まったく、すぐに話を大きくするんだから」

 まあ、いつもの口げんかを肴に飲もうかね。
 
「はい、ジンさん。ヱビスの生と、お通しは、たことわかめの酢の物にほうれん草のごま和えね」

 仕事の顔に戻った由美ちゃんが、説明付で運んできた。

「相変わらず、お通しだけで十分な量だね」

「シーッ。常連さん特典ですからね。特に、ジンさんは一人暮らしなんだから、栄養バランスも考えないとね」

 大げさな身振りで大将が声をかけてきた。

 生ビールをグイッと飲むと力が抜けた。フーッ。
「うまい。ホント、このために仕事をしているようなもんだ」

「みんながジンさんみたいだとうちなんかも楽になるんだけどね。最近の若い人はあんまり飲みに出なくなってるから、先が心配だ」

 大将は大問題だと言うように、大きくため息をついておどけた顔をする。
 いつもの癖なんだが。

 生ビールのおかわりをして、枝豆と肉じゃがを注文している時、常連の大森さ
んがやってきた。

 大森さんは、近くの商店街で建設業者向けの道具や資材卸の他、店舗では日曜
大工用品販売をやっている。

 この商店街でも顔のようで、定期的に、商店街の役員会のあとなどに、ここで
懇親会を開くこともあるようだ。

「大森さん、毎度」

 大将が声をかけると、あからさまに肩を落として、カウンターに腰を下ろした。「黒ちゃん、参ったよ」

「どうしたんですか。店に入るなり、泥棒にでも入られたみたいだなあ」

「泥棒の方がまだ自分で何とかできるからいいさ。・・・実は、うちのお得意さんが倒産しちまってさあ。損は大したことないんだけど、親父の代からの付き合いなんで、辛くってねえ」

「そりゃ、冗談じゃないねえ。建設関係の会社は大変そうだからねえ」

「そうなんだよ。これまでは、ある程度役所の仕事が助けてくれたらしいんだけど、今じゃ、役所の仕事が安すぎて、そのせいで無理をしちまったらしいんだ」

「いらっしゃい。毎度」

 もう一人の常連、近藤さんもやって来た。
 
「大森さん、もう焼酎かい。私は、ビールを一本もらおうかね」

 近藤さんは、建設会社に勤めているらしいが、元は役所の技術者だと自分で漏らしていた。
 
 「天下りさ」と、一度だけつぶやいたのを聞いたことがある。

 紳士で、静かに飲むタイプだ。

 大森さんと近藤さんは、いつも2人で並んで飲んでいる。別に待ち合わせをし
ているわけではないらしいのだが、仲の良い常連になっているようだ。

 大きな影を感じたので1秒後に引き戸が開けられるのを予測できた。

「おお、いらっしゃい。鳶野さん」

「ジン。やけに早いな。今日こそは、由美ちゃんを一人占めしようと思ってきたのに」

「直帰さ。久しぶりだしな」

「ええ?鳶野さんまで。今日はめずらしい日ねえ」

「由美ちゃん。鳶野さんまで、はないだろう。ジンを誘ったのは俺なんだぜ」

「それじゃあ、鳶野さんに感謝、ね」

 鳶野雄二は、小学校から高校まで一緒だった、謂わば幼なじみだ。
 高校では空手部に入った雄二とラグビー部だった俺と、道は離れ、しばらく会うこともなかったが、数年前お互い社会人となって間もない頃、偶然、東京で再会したのだ。
 
「乾杯」

 雄二が、カウンターに座るとすかさず大将が生ビールを出し、常連達との再会を祝した。
 
 居酒屋みやびにやってくるたび、小さな事件や話題が飛び交う。
そんな日々を記録していこう。